タウンセブンの歴史

1.荻窪新興商店街 新興マーケット - 1946~81年

1945年(昭和20年)第二次世界大戦に破れ、戦後の荒廃した世相の中で、誰が呼ぶともなく糧を求めこの地に集い、1946年(昭和21年)5月、1店舗3坪、区画150店の「新興マーケット」は産声を上げました。
当時は戦後の窮乏を極めた生活の中にあり、闇市と言われながらも、庶民にとって唯一の生活物資が得られる市場として親しまれていました。
その後35年間、必死で闘う人達はここに新しい生命を得、育て、成長し、時の流れに従い、経済的地歩を築くと共に、荻窪をそれにふさわしい豊饒な商業地として発展させてきました。
当時の写真は残念ながらございませんが、当時の面影の残る1978年(昭和53年)の写真をご覧ください。

1978年(昭和53年)

写真上部は青梅街道、斜め左の角が白山通りの入り口です。

写真左が荻窪駅西口、真ん中にあるビルは当時の西友ストア。裏のビルの地下には二つの映画館「荻窪オデオン座」と「荻窪映画劇場」がありました。

青梅街道の歩道と新興商店街、写真右側が青梅街道です。

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2.荻窪新興商店街 アーカイブ - 1978年当時の店舗

籾井商店
つま信
尾張屋
山利屋
佐藤商会
好味屋
貝新
丸功
ブティック ポエット
風月堂
なかだや
暮らしの器 やなぎさわ
のんき
わしや
月星シューズ
ニューコーミヤ B1
インテリアハウス ナミキ
魚耕
カネマスヤ
野道
ほそ田
佐川フルーツ
成田屋
SUZRAN宝石店
藤巻商店
東信水産
サンマローアットホーム
九州屋
稲毛屋
一徳
サン・ヴェール
デリカテッセンH2D
レザーショップたかはし
手芸 よしなが
味玄食品
青梅街道の風景

※次の店舗は現在の業種、店名と異なります…レザーショップたかはし、ブティック ポエット、SUZRAN宝石店、月星シューズ、デリカテッセンH2D
※次の店舗は現在タウンセブンにありません…つま信、尾張屋、好味屋、貝新、風月堂、のんき、野道、ほそ田、九州屋、稲毛屋

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3.荻窪新興商店街 アーカイブ - 1979~81年当時の店舗

終戦の混乱、食料物資の欠乏時代に生まれた新興マーケットは、永きにわたり荻窪の人達の生活を支え、庶民の市場として愛され親しまれてきました。
しかし、時代の変化と共に、消費者のニーズも変わり始め、物だけではなく生活に豊かさを求める時代になりました。
そうした流れから、新しい時代に合った商店街として生まれ変わろうという機運が高まり、消費者の惜しむ声、そして離れ難い別れの情を捨て、店主とその家族一同が一丸となって、再開発事業推進に取り組みました。
それが、みんなが夢描いたビル 「タウンセブン」 の建設です。

1979~81年(昭和54~56年)

写真下が青梅街道、写真右が白山通りの入り口です。

タウンセブンビル建設中は、青梅街道を挟んだ向かい側の第一勧業銀行跡地を借り、仮店舗で60店が営業していました。

青梅街道からの風景。

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4.当時の荻窪駅 - 1980年

1980年(昭和55年)

当時の荻窪駅北口バスターミナルの様子。

1980年(昭和55年)当時の荻窪駅西口の様子。

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5.タウンセブンビル完成 - 1981年

長年の悲願であったタウンセブンビルが完成

1981年(昭和56年)9月30日。永年の夢を叶える為、店主とその家族一同が一丸となり、日夜情熱を傾け、そして努力し、この日を迎えました。戦後から続いた新興商店街は、荻窪の新しい時代を切り開くショッピングセンター「タウンセブン商店街」として、新しく生まれ変わりました。

青梅街道側からのタウンセブンビル外観。

航空写真。

当時の1階セントラルコート。

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